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出来損ないの人生放浪記

完全に個人的な日記。日々の出来事や読んだor観た作品について綴る日記です

完全に今更な三島由紀夫『金閣寺』感想

小説感想

数日前に三島由紀夫氏の『金閣寺』を読み終えた。

21歳にもなって三島由紀夫を初めて読んだというのはあまり褒められることではないが、せっかくなので稚拙な感想文を少し。

 

金閣寺』は、実際に起きた金閣寺の焼失事件を元に書かれた三島由紀夫の小説である。

 

三島氏はこの作品を書く際、金閣寺を燃やした寺僧の形而上的思想に着目した。

それはすなわち、寺僧のもつ金閣寺の「美」に対する憎悪である。

 

なぜ寺僧は金閣寺の美しさを憎んだのか。その疑問が小説の核になっている。

 

この作品の中には「美」という抽象概念に関する深い考察が全体を通して貫かれており、吃音症の主人公の醜さや葛藤、内飜足の学友である柏木の対称的な生き方などが螺旋を巻いて、全体の物語が紡がれている。

 

個人的な印象としては、イメージとは程遠く非常に内省的な物語であることに驚かされた。

勝手なイメージだが、彼の晩年の生き方からか三島由紀夫の小説は社会性が強いものだとばかり思っていたのだ。

この小説は全く社会的な小説ではなく、完全に内省的かつ哲学的な小説である。

 

ここではあらすじについては割愛させていただく。素晴らしい古典の深い考察について書く語彙も今の私にはないので、感想もこの辺にしておきたい。

 

この本は社会や人間関係の中で葛藤を持ち、本当の自分を失いつつあるすべての人に読んでほしい小説である。

 

この主人公は金閣を燃やすことで自己をようやく実現させた。それをただの犯罪だといって戒めることが我々にできるであろうか。我々はこの小説から学ばなければならない。

世界は決して外界で規定されるだけの存在ではないのである。

 

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

 

PS:支離滅裂の感想文になってしまった。再読する度に記事を書き直そうと思う。

この記事を読んで金閣寺を読みたがる人はなかなかいないでしょうが、ぜひ読んでほしい一冊です。

葛藤と苦痛と不安定

アルバイト 雑記
再起の記事を書いてすぐに、私の頭は混乱し、苦痛が胸を襲った。

私はどうしても、大企業の綺麗なオフィスで明るく若い男女たちと談笑しながら記事を書く自分の姿が想像できなかった。

私には彼らと同等の立場から何かを話す勇気も、実力もない。

私はライターの仕事にありつけたとしても、結局はこのどん底の闇へと舞い戻ってきてしまうのであろう。

前回あのような記事を書いたが、私には明るい場所はまだ無理である。本当に難しい。吐き気がする。

これはもはや病気ではなく、生まれる前から私に課せられていた宿命と言わざるを得ない。私は小さい頃から他の子供に比べて何もできなかったし、これからもきっとそうなのであろう。


私は十年もの間、こうした自意識と現実とのズレに苦しめられてきた。


あるいはそれはもっと長かったかもしれない。

少年野球で万年補欠、監督の慈悲で負け試合に代打出場しても必ず三振していた少年時代からこの苦しみは始まったのだろうか。

ベンチからひたすら応援し、試合に出ても誰にも期待されないあの日々は、私が他人よりどれだけ劣った存在であるかを自己自身へと知らしめた。

あの頃から私は、他人がやってることはやらない、他人がやらないことだけをやるをモットーに生きてきた。


その結果があらゆるものへの関心の薄れだ。


自分が好きだと思っていた物事さえも、相対的に考えれば自分の愛が最も少ないということが大学時代には多くの場面で明らかになった。

その結果私は、サークルからも研究会からもゼミからも逃げ出し、それらで培った人との関わりもすべて断ち切ることになった。

これらはすべて、他者一般に対する劣等感が原因である。

私は大学に入学するまで、このことをはっきりと認識していなかった。中学時代から死にたい、死にたいと考えてはいたが、なぜ死にたいのかをはっきりと言葉にするのは難しかった。ただ漠然とした世界への憎悪のみが、私の中で渦巻いていた。

だが中学時代からすでに、友人達との関わりを苦痛に感じることがあった。中学三年の頃には、自分にとって最も居心地のいい環境は自分自身であった。



私はもはや社会に適合できる人間ではなくなってしまったのかもしれない。

私にはもはや、夢を叶える気力も、夢は叶えられるのだと思う情熱も、なにもないのだ。

他者は利用するものでしかなく、自分の領域には誰を入れるつもりもない。

殻に閉じこもっていると批判されようが、そうすることでなんとか生きてこられた私がこの殻を破ることは容易ではない。

苦しく、誰かに助けてもらいたくても、その助けてくれた誰かを平気で切り捨てることができる私は人間失格であろうか。



【鬱記事】期間工もリゾバもやーめたっ☆

アルバイト 雑記
本日は8時に起床し、今の今までひたすらに仕事を探していた。

私は先の記事で考えうるいくつかの選択肢について述べたが、今日はそこから少し離れ、自分が本当にやりたいことを探してみた。

私がやりたいこととはなんだろう。

様々なものに興味関心を持っていた大学一年生の頃ならまだしも、今現在の私には自己をいくら探っても真実が掴めず、むしろ探せば探すほどそれは彼方へと遠のいていくように思えた。

高校時代には音楽に興味を持ち寝る間も惜しんでギターを弾いていたが、今では数ヶ月以上ギターを手に取ることもなくなってしまった。

大学一年の頃は学問に関心をもち、哲学者を気取っていたが、今思い返すとあれは哲学ごっこであった。
いや、ごっこ遊びにすらなっていなかった。あれはただひたすらに、周囲の人々から知的な人間だと思われたいがための幼稚な行動であった。

それでは私が本当にしたかったこと、なりたかったものは存在しないのであろうか。

いや、以前から一貫して心の隅にあった思いはあった。それは「物書きになりたい」という願望だ。

中学時代に村上春樹の本を読み、高校時代に森見登美彦の小説に没頭した私は、こんな面白い物語を紡いでみたいと考えていた。

深夜特急をはじめとする様々な紀行文や面白いエッセイ本に読み耽っていた高校時代以降は、エッセイストになりたいと心から思っていた。

どうしてそれらの感情を忘却していたのであろうか。

私は思った。出版社やそれに準ずる企業でアルバイトをしてみたい、と。

だが、そこには大きな問題が立ち塞がる。それは私の人格的な問題であり、これまでの人生の節々に悪影響として現れ、私を苦しめてきた障害である。

それは巷に「回避性人格障害」といわれる。

私は精神科に通った経験があるわけではない。したがって正確にこの病気であると診断されたわけではない。しかし、私のこれまでの行動がこの病気にピッタリと当てはまるのである。

精神医学的には以下の項目のうち4つ以上が当てはまると認められれば回避性人格障害である可能性が高いとされる。

(1)批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける
(2)好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたがらない
(3)恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す
(4)社会的な状況では、批判される、また拒絶されることに心がとらわれている
(5)不全感のために、新しい対人関係状況で抑制が起こる
(6)自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている
(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険を冒すこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である

引用元:

私はこれを読んだ瞬間「これはまさに私のことではないか」と感じた。

いくつ当てはまったというレベルではなく、七つの項目全てが私の人生を悪い方向へと引っ張っていった原因なのである。

長くなってしまったが、私はこの病気を「逃げ」の言い訳に使いたいわけではない。むしろ私はこれを早く克服し、まっとうな人間として生活したいと思っている。

そのために、私は社会的活動を通して自己肯定を高めなければならないのだ。自己肯定感を高めることで、人格障害を克服することができる。

そしてそれを遂行するには、自尊心の高い人々が集まる場所に身一つで突っ込んでいかなければならない。

自らの「逃げ」のために、同類が集まる環境に閉じこもっていては何の解決にもならぬ。

私は今日、そう感じた。

そして目標であったライターのアルバイトに応募した。

採用されるかはわからない。採用されたところで役に立てるかどうかもわからない。だが、挑戦こそが大事なのだ。私は数年ぶりに大事なことを思い出した。挑戦する心を失った人生など、評価するに値しないのだ。

私はようやくマズローの五段階欲求の意味を理解した。これまで二段目の「安全欲求」にしがみついていた私であったが、このままここにしがみつき、くすぶっていてはならぬことにようやく気づいたのである。

面接日は27日。続報に期待せよ。

プレハブ小屋の六畳一間

アルバイト 雑記
今日私は担当者と少しの電話会談を行った。

聞きたいことはないか尋ねられたので、以前より気になっていた寮についての質問をした。

「寮は新しいんですか」

「少し古いプレハブ小屋ですよ」

「...寮の部屋に机はあります?」

「机はないですね~笑」

つまり、勉強机もなく虫が這うプレハブ小屋で3ヵ月もの時間を過ごせと彼は言うのである。

なんたる苦行か。資格勉強もできない寮生活など私には無理である。

考えさせてくださいと言って電話を切ったが、もうほとんどやる気はない。

しかし金は必要だ。私は期間工の仕事をすることも視野に入れねばならぬと考えた。

期間工は恐ろしい。パチンコ店も恐ろしい。

雑記 アルバイト
昨日、リゾートバイトについて書いた。

リゾートバイトという閉鎖空間においては、仕事から逃げ出すことは容易ではない。

遠方地でのアルバイトにおいて、我々の肉体は自我と共に四畳半の個室寮へと監禁され、逃げ出そうものなら決して少なくはない対価(交通費)を犠牲にしなければならない。

逆に考えれば、リゾートバイトは「交通費の無駄」という一種のストッパーによって長く続けることを可能にしているのだとも言える。

私は今日、リゾートバイト以外の選択肢についてじっくりと思案してみた。

ひとつは今住んでいる町のパチンコ店でアルバイトをするという選択だ。

時給はリゾートバイトよりもはるかに高い。日払い制度もあり一見申し分ない条件だとも思える。

一番の問題点は、私がパチンコ店に一度も入ったことがないということだ。

おかげで私のパチンコ屋に対する妄想は膨らみ、恐ろしい暗黒のイメージに支配されてしまった。
客はヤの付く者達で埋まり、日々DQN店員と客とのケンカで血の水溜まりができるというのは本当だろうか。

とにかく、そんなわけでガラスのハートをもつ私はパチンコバイトに手を出すことはできぬのだ。


もうひとつ頭に浮かんだ選択肢がある。それが自動車製造工場の期間工という道だ。

これについては給料面が素晴らしい。毎月20万以上の給料をもらえる上に、定められた期間を満了すると慰労金として20万もらえるらしいのだ。

おまけに寮費も光熱費も無料。金を貯めるにはこれ以上の選択肢はない、とまで言える。

だが調べれば調べるほど、この期間工という仕事がどれだけの修羅の道であるかが分かってきた。

最悪の環境でまるで奴隷のように働かされ、最底辺の人間達に怒鳴られながら仕事をしなければならないという。

仕事に充実感があるのならまだしも、単調な作業は自らの人間性を奪い、心も身体もオートメーション化してしまうのだ。

給料が高い理由がわかった。これでは続けることのできる人は多くないであろう。

というわけであらゆる選択肢を失った私は、リゾートバイトに赴く決意を高めたのだった。

住み込みのバイト

雑記 アルバイト
私は今、金が必要だ。

もちろん私だけではなく多くの人にとって金は最重要事項だ。

私がお金を必要とする度合いが、他の人間のそれより勝っているわけではないのだが、熱意だけはある。

私はお金が必要なのである。30万円ほど。

この30万円を効率よく稼ぐには一体どのような手段を取るべきか。

この現代日本において、貧乏人が金を手に入れる手段はいくつかある。

そのいくつかの中には法に触れるものもあるが、それはあまりにもリスクが高すぎるし、倫理的にも良くないのでやめておきたい。

やはり最も効率が良いのはアルバイトだ。しかしアルバイトで稼いだ金の多くは生活費や光熱費に消えていってしまう。


そこで私は考えた。「そうだ、リゾバしよう」。

リゾバとはリゾートバイトの略で、全国の温泉地やリゾート地などで住み込みで働くことを意味する。

寮費や食費は無料なので、仕事で稼いだ分のお金は半減することなく自分の財布の中へと入ってくる。

それに加えて温泉に入り放題等の特典も付いてくる。日々の疲れた体をタダで癒すこともできるというのだ。

これは魅力的だ、と私は思った。

そこで私は神奈川県内に仕事先を絞り、いくつかのサイトから仕事の応募をした。

やはり最大手のリゾバ.comが対応の素早さにおいては断トツだ。ただ電話をかけてきた担当の人間が少し横暴な態度だったのはマイナス点か。

まあいずれにせよ彼らとの関わりは仕事の開始前とトラブル時だけであり、電話口での態度が少し悪かったからといってその程度のことでイライラする私ではないのである。

できれば2月中に仕事を決めて現地へ赴きたいところだが、うまく話は進むだろうか。そもそも私にリゾートバイトが続くであろうか。いや、続けねばならない。あらゆる苦行から逃げ続けてはならぬのだ。

続報を期待せよ。

日記のような、エッセイのような

雑記
このブログは、日々目まぐるしく動く世の中と、それに比して沈殿しつつある身の回りの出来事を、忘却せんがために記すものとして作成した。

私はまだ21の若者だが、日々をどれだけ無為に過ごし、どれだけの機会を損失しているのかを最近はしみじみと痛感している。

かつての友人達は皆、夢を叶えるために自分を磨き、立派な大学4年生となった。

大学に進学しなかった地元の友人達も、立派に仕事をしては趣味に金を使い、さぞ楽しい毎日を送っているのだろう。

それに比べ私はなんと成長していないことか。

大学は中退寸前だし、バイトもろくに続ける意思がない。

「こんな状態では本当にまずいことになるぞ」と自覚を持ったのがつい先日のことである。

ラブホテルの清掃のバイトを6日間(自分史上最長)で辞め、次は何をしようかと模索していた私は、これまでの人生をふと振り返ってみた。
そこで始めてろくに物事が続いた試しがないことに気がついたのである。

このブログはそんな私の成長記にしたいと思っている。

日々起きる出来事を慈しみ、大事に思っていなかったからこそ、私はこれまで様々なことを忘却し、様々なことを落としてきてしまったのだと思う。

決して楽ではない道だろうが、これからの私は充実した日々を送るために働き、本を読み、大事な何かを学んでいく。そしてそのことを記す日記としてこのブログを用いていこうと思う。

人に見せるために書くブログではないので運悪くたどり着いてしまった方には少々見苦しい部分をお見せしてしまうだろうが、その辺はご了承いただきたい。