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出来損ないの人生放浪記

完全に個人的な日記。日々の出来事や読んだor観た作品について綴る日記です

葛藤と苦痛と不安定

再起の記事を書いてすぐに、私の頭は混乱し、苦痛が胸を襲った。

私はどうしても、大企業の綺麗なオフィスで明るく若い男女たちと談笑しながら記事を書く自分の姿が想像できなかった。

私には彼らと同等の立場から何かを話す勇気も、実力もない。

私はライターの仕事にありつけたとしても、結局はこのどん底の闇へと舞い戻ってきてしまうのであろう。

前回あのような記事を書いたが、私には明るい場所はまだ無理である。本当に難しい。吐き気がする。

これはもはや病気ではなく、生まれる前から私に課せられていた宿命と言わざるを得ない。私は小さい頃から他の子供に比べて何もできなかったし、これからもきっとそうなのであろう。


私は十年もの間、こうした自意識と現実とのズレに苦しめられてきた。


あるいはそれはもっと長かったかもしれない。

少年野球で万年補欠、監督の慈悲で負け試合に代打出場しても必ず三振していた少年時代からこの苦しみは始まったのだろうか。

ベンチからひたすら応援し、試合に出ても誰にも期待されないあの日々は、私が他人よりどれだけ劣った存在であるかを自己自身へと知らしめた。

あの頃から私は、他人がやってることはやらない、他人がやらないことだけをやるをモットーに生きてきた。


その結果があらゆるものへの関心の薄れだ。


自分が好きだと思っていた物事さえも、相対的に考えれば自分の愛が最も少ないということが大学時代には多くの場面で明らかになった。

その結果私は、サークルからも研究会からもゼミからも逃げ出し、それらで培った人との関わりもすべて断ち切ることになった。

これらはすべて、他者一般に対する劣等感が原因である。

私は大学に入学するまで、このことをはっきりと認識していなかった。中学時代から死にたい、死にたいと考えてはいたが、なぜ死にたいのかをはっきりと言葉にするのは難しかった。ただ漠然とした世界への憎悪のみが、私の中で渦巻いていた。

だが中学時代からすでに、友人達との関わりを苦痛に感じることがあった。中学三年の頃には、自分にとって最も居心地のいい環境は自分自身であった。



私はもはや社会に適合できる人間ではなくなってしまったのかもしれない。

私にはもはや、夢を叶える気力も、夢は叶えられるのだと思う情熱も、なにもないのだ。

他者は利用するものでしかなく、自分の領域には誰を入れるつもりもない。

殻に閉じこもっていると批判されようが、そうすることでなんとか生きてこられた私がこの殻を破ることは容易ではない。

苦しく、誰かに助けてもらいたくても、その助けてくれた誰かを平気で切り捨てることができる私は人間失格であろうか。